やぁ同志よ、元気にしているかい?
今日は、Twitterにて興味深い話題が上がっていたので喫茶店経験者から見た切り口で思考してみた。
喫茶店のこだわりコーヒーは何故コンビニコーヒーに勝てないのか?
Twitterにて
やっぱり趣味の世界が1番楽しいと思えるのですが、収益を考えると別な所に柱を建てなければ傾いてしまいそうですね。
趣味の一つにコーヒーがあるのですが、コンビニの100円コーヒーに喫茶店は大泣きです。 https://t.co/urMXFTSskP— 囚人シアン@獄中ブロガー (@shujin001) May 7, 2018
tweetにて興味深い話題が上がってふと思い出した事がある。
「喫茶店のこだわりコーヒーは何故コンビニコーヒーに勝てないのか?」
という問い。
何かの雑誌かブログで目にしたのだが、その問自体が的外れのような気がして喉にしつこく残る魚の小骨のようにずっと脳の隅にある。
だからコンビニでコーヒーを買うたびに、気づけばいつもその事を考えてしまっていた。
だが、つい先日その答えを過去の自分の創作に見つけた。
「なんだ、意外に自分考えてるじゃないか!」
それを今まで忘れてたのは、ご愛嬌というやつだ。
これは私が、2016年にとある会社に入社する為に書いた論文である。
私の考える働き方・会社の在り方『論文』
これからの時代私達は、創造的な仕事をし独創性を貫かなければ社会で生き残れないと考える。
なぜなら時代を牽引してきた日本の大手メーカーの、相次ぐ倒産や統合が珍しくない時代になったからだ。
世界中でテクノロジーが発展し、既製品の低コスト化が盛んに行われている。
既存の参入障壁であったコスト高は今やITの進歩によって低コストで導入できるようになった。
もう古い情報をでわあるが例えて言えば、老舗の自動車メーカー三菱と日産の統合、大手家電メーカーの相次ぐ減産報道、どれもその道でトップクラスと言われた会社達だ。
なぜ業界トップの会社が、統合・減産に追い込まれるのか?
その理由は、時代と消費者心理を考えてみると見えてくる。
物が飽和した現代、欲しいものはお金を出せは手に入る。
『基本機能が十分ならメーカーは問わない。むしろシンプルで安ければ良い』
と言う風潮の中、日本の技術は海外に流れだし、シンプルに改良され逆輸入的に日本のメーカーを襲ったのだと考えた。
海外の低価格・シンプルで分かりやすい商品に、変わらず性能や機能を重視した日本メーカーの商品達は、製作者よがりの製品で消費者心理にマッチせず太刀打ちできなくなった。
その一方で、同じ日本の家電メーカーでも売り上げを伸ばし、海外でもシェアを伸ばしている企業がある。
例えば、バルミューダのグリーンファンジャパンという扇風機は、従来の10倍の価格設定で市場に売り出しているが、購入者が後を絶たない。
なぜ市場の10倍の価格なのに売れ続けるのか、詳しく調べるうちに不思議と自分もその扇風機が欲しくなったのだ。
ホームページには、動画で風に当たるモデルの方達が本当に涼しげに当たっていたのだ。
何故欲しいと思ったのか自分の消費心理と向き合うことで結論に至った。
欲しいのはその商品ではなく、それを使って得られる体験なのだ。
つまり今の商品作りで大切なのは、お客様にその商品を使っている自分を想像させること。
お客様は物を所有することよりも、体験に価値を見出しているのだ。
このことに気付いてから自分の仕事への姿勢も変わった。
商品を使った体験を売ること。
これが今私の考える働き方・会社の在り方と考える。
論文おわり
計算されたストーリーを組み上げる
上記の話しを踏まえながら、
冒頭で話した「喫茶店のこだわりコーヒーは何故コンビニコーヒーに勝てないのか?」を考えると、結論のストーリーはこの様になる。
【モーレツ社員田中の朝】
田中(仮名・男)は、とある商社の勤め人で平日は朝から晩まで仕事で働き詰めだ、忙しい朝はいつもコンビニの菓子パンと缶コーヒーでそそくさと済ませていた。
本当は、ゆっくり腰を据えて喫茶店の本格コーヒが飲みたいが仕事がそれを許さない。
いつも立ち寄るコンビニに入ると、ふと香り高いコーヒーの匂いが店内に漂う、今日から導入されたと言う新しいコーヒーマシーンの様だ。
興味を持ち詳しい話しを店員に聞くと、どうやらメーカー直送で仕入れる煎り豆は、焙煎1週間以内の新鮮な豆で全自動のコーヒーマシーンで1杯1杯、豆からミルで引きその都度お湯を落としてたてられる。
美味いコーヒーの三原則、煎りたて、引きたて、入れたてを再現しているのだ。
田中は、コーヒーの入れたての香りに誘われて、まるでこだわりの強い自家焙煎の喫茶店に入った様な気持ちになった。
ふと時計を確認すると電車の時間まであと15分は余裕があると確認出来た。
田中は、缶コーヒーと同じ価格の100円で香り高いコーヒーを買った。
コンビニに設置してある灰皿でタバコをふかしながら、コーヒーを1口飲んだ。
「美味い、まるで喫茶店のコーヒーの様だ。これからは、忙しくても美味いコーヒーが飲めるな」
そう思いながら忙しい朝に一息を入れている。
そんな田中の朝の風景である…
【ここまで。】
この話を聞いて、どこのコンビニでも見られる光景だと思わないか?
これこそ体験を売る仕組みだと確信する。
中流顧客層の縮小こそが原因だ
昼飯時も同じだ。
コンビニに飯を買いには行っても、喫茶店でランチなんて贅沢はできない。金もだが時間がない。
そういう層がホッと息つくのは朝同様に昼休みのコンビニなのだ。
そんなタイミングでコンビニコーヒーは飲める。
体験を提案するタイミングが絶妙なのだ。
どうだろうか、喫茶店はこれほどまでに計算されたストーリーを組み上げることができるだろうか?
不可能ではないが、それができるのは赤い彗星並み指揮官だけだろう。
何より現代の現役世代の日本人は男も女も皆忙しい。
そしてシニア層も年金不安で金を持ってはいても使わない。
パパがそこそこに一生懸命働いて、そこそこに給料をもらって、ママがそこそこに幸せな家庭を守っているクレヨンしんちゃんのような、現役世代の中流家庭は減ってきた。
子供の首が据わらない時期から働くママ。本人が望むと望まざると家族の形が変化してきた。
働かずとも金に不安がない人間と働いても金が心配でたまらない層に二極化してきているのだ。
そして後者が圧倒的に多い。
格差社会である。
中流層の縮小こそ、この「こだわり喫茶店の苦境」という状況を生んでいる。
中流〜下流層に人口が動き出したともいえるが、どちらかというと「中流」というひとくくりの価値観が個別多様に変化し「○○流」というステイタスが薄れてきたせいだ。
コンビニはこそに勝機を見つけただけで、コーヒー屋は顧客の縮小をコンビニのせいだと勘違いしているのである。
コーヒー屋の敵はコンビニではない。
中流顧客層の縮小こそが原因なのだ。
価格や味はその次の要因でしかない。
その意味で、缶コーヒーの敵こそコンビニコーヒーだろう。
私も商品作りに励んでいる中で、読者、視聴者の方にはできる限り体験していただける様な再現性を重視した表現にしたいと心がけてはいるが毎回独りよがりの表現になっていないか不安になる。
そういった自らを振り返る気持ちを苦境の喫茶店には持ってほしい。
まあ、昔そういう失敗をした男を見たせいもあるだろう。
余計なお世話だろうが。
気になる方はココから参照してほしいFile.03_【過去ログ】店舗移転前の失敗と親族から金の強奪
さて本日はここで閉めよう。
それでは