やあ、同志よ私だ元気にしているかい?
資本主義の囚人シアンだ。
あんたは誰かって?
もう忘れてしまったのかい?
てめーは誰だって言う奴は、
ファイル00(身も心も死んでいた【プロローグ】)を参照してくれ
今日は、私の過去の話をしようとここに来た。
私の幼少期の話でもしよう。
バブル崩壊という時代から逃げた父親
こんな私でも幼い時は、問屋の息子という恵まれた家庭に生まれ幸せな幼少期を過ごしていた。
『バブル全盛期』
お金があり生活が豊かだった頃にはいい思い出もある。
近所の大人を引き連れて旅行に行ったり、親戚中を集めてキャンプにバーベキュー
とにかく親父が中心にいたから、親父が金を出していたんだろう。
そんな家庭で幼少期を過ごした私は将来、社長のイスが約束された人間だったんだ。
だがそんな幻想的な好景気は長く続くはずもなかった。
『バブル崩壊である』
バブル崩壊の波で問屋業の業績は悪化・・・時代の波には逆らえなかった。
肝心の親父は逃げるようにパチンコ屋に入り浸り、仕事も家庭も顧みない。
事業主として好景気が終わったときのことも考えておくのが当然だと思うが、当時を知る大人は「この好景気はずっと続くと思っていた」という。
そんな甘えた大人がわんさかいた時代だったから、いざというとき逃げることしか知らなかったのだろう。
金遣いの荒いギャンブル好きの親父は会社が倒れかけても仕事をしようとはしなかった。
会社の資金を使い込みとうとう金が無くなった。
それでもギャンブルを辞めなかった親父は、闇金から金を借りていた。
母の決断、母子家庭という道へ
闇金に金を返せないと当然借金取りがやってくる。
パチンコとギャンブルに忙しい親父は留守だとうのにだ。
結局苦労したのは母だった。
家の前にちょくちょく来る男が『や』の付く職業だと子供ながらも知っていた。
意外かもしれないが、『や』の人たちは家の前で大声で恫喝し、借金した男の家族を怖がらせるというようなベタベタな仕事はしなかった。
同じような父親を持つ友人は、家の前で恫喝する男の声を幾度も聞いたことがあるという。
当時は親父が金を借りた先の『や』の組織もそんなに金に困っていなかったのかもしれないが、私の場合は幸いだったとしか言いようがない。
しかし母ひとりで、会社も家庭も守るには限界がある。
ついに会社は倒産した
それでも母は子供達のため家庭だけは守ろうとしたが、借金を重ねたダメ親父はDV(家庭内暴力)まで手を出した・・・。家庭は崩壊・・・
母は嫁いだ家を出る決心をし、妹と私だけを連れその他の全てを捨てて家を飛び出したのだ。
このとき私は13歳。まだ中学1年だった。
当時仲の良かった親友にも好きだった女の子にも別れを言えず、突然去らなければいけなかった。辛い過去を思い出すたびにやるせなさが心をかすめる。
母は再婚もせず母子家庭ながら必死に働き、私と妹を女手1つで育て上げた。
貧乏だとは思ったけど、食べるご飯が無いということはなかった。「食べる物がある」というのは心を健全に保つためには必要不可欠なものだ。貧しくとも私が卑屈にならなかったのはこれが大きい。
今思えば、本当に母には感謝しかない。
いつか「育ててくれて、ありがとう」と何か形にして恩返ししたい。
現実を見せてくれた反面教師
私はこの過去の出来事がきっかけで幸せな家庭を破壊した『ギャンブル』と言うものが嫌いになった。
母と父が離婚した後、私の半生で出会ったバブルを経験した男達の多くは、高度経済成長期という過去の幻想にしがみつき、ありもしない夢の中を今もさま迷っている。その話は次回以降に話そう。
本当に私はこの「高度経済成長期」を経験しなくて良かったと、親父世代の男を見るたびに思うのだ。
己の欲で家庭を壊した父を今でも許してはいない。
しかし少しは育ててもらった恩があると思い、結婚を期に挨拶には行った。
バブルの荒波に呑まれ変わり果てた父を見て、悲しく思う気持ちと、こんな情けない男には決してならないと改めて誓ったのだ。
今では現実を見せてくれた反面教師としての存在価値はあると思っている。
おそらく次会う時は、父の二度と覚めない眠り顔を見に行く時だろう。
まあ、いつか許せる日がきたら会いに行くかもしれないが
風の赴くままに決めようと思う・・・